My Friend Pedro
目を覚ますと、そこは裏社会の食肉加工場だった。もちろん加工される肉とは、自分のことだ。
目の前にはしゃべるバナナが浮いている。友人のペドロと名乗るバナナに助けてもらいながら逃避行を繰り広げる2Dガンアクション。
時間の流れを遅くするフォーカスを駆使して、スタイリッシュに弾丸の雨をかい潜り敵を殲滅する、爽快なゲーム。
ペドロやマスクの主人公からデッドプールのような笑えるやりとりがあるのかと思ったが、テキストはかなり少なめ。もうちょっとペドロとの会話が欲しかったなとも思う。
Xbox GamePassでプレイしており、問題なく日本語化されていた。
クリア時間はかなり寄り道をしながらで3~4時間程度。
ただし本作は難易度HARD、BANANAで周回するリプレイ性も強いため、のめり込めば優に3倍以上のボリュームは楽しめるだろう。
感想
PVを見た時点から異彩を放っていたスタイリッシュ・ガンアクションだったが、プレイすると見た目が派手なだけではない、作り込まれたゲームプレイが感じられた。
途中途中で挟まるゲーム性の変わるステージも面白かった。
流石、もとがFlashゲームとしてすでに成功を収めていただけある。
ただ終盤のイライラ棒のような、純粋なアクションステージは、本作のキャラコントロールが精密ではない上、本作にそもそも求められていない要素だけにストレスが大きかった。
翻訳
テキスト自体は少ないが、少なくともペドロを友人だと感じられる程度にはしっかりと翻訳されていた。
バトル
スタイリッシュ・ガンアクションの名に偽りなしの、今までの2Dアクションには無いほど爽快感を突き詰めたようなシステムになっている。
主人公が出来る操作は「射撃」「サブ(銃ごとの特殊行動)」「回避」「ジャンプ」「移動」、戦闘ではあまり使わないが「しゃがみ」「転がり」で全てとなる。
ロックマンやマリオと比べても差があまりないシンプルな操作ではあるが、このゲームでは上記すべてを一つも欠かさず駆使して何回も繰り出さないと敵を倒せないため、すこし難易度は高いゲームだと言える。
「すこし」難易度が高いって…どうみても忙しすぎだろ!となるところだが、上記すべてを駆使しても脳がパンクしない、重要システムが「フォーカス」という時間の流れを遅くするモード。
ボタン一つで発動できて、敵を倒すと再補充されるので戦闘中は常にこれをつけて戦うのがセオリーとなる。
仮に使い切っても敵が残っていても、一定時間で自動回復するので安心。
個人的に感心した部分が、このフォーカスを全く出し惜しみしていない部分だ。
惜しいゲームというのは、こういった面白い部分を制限して(回復をアイテム性にするなど)カタルシスとしてシステムに組み込んでしまう点だ。
このゲームではフォーカスを出し惜しみせず、むしろ使うこと前提で作られているため、やりたいゲームをずっとやれるのが素晴らしい。
だが惜しい部分もあって、特にコントローラーでの操作が洗練されていないと感じた。
というのもこのゲーム、もとがパソコンのFlashゲームということもあってシステムそのものがPCに最適化されている。
その最たる例がアキンボ(二丁持ち)での狙う操作と回避操作のバッティングだ。
本作では銃で狙う際に、一丁目の狙う操作は右アナログスティックなのだが、二丁目はL2で自動ロックオンというシステムを採用している。
これとL1で行う回避が本作の使用頻度ワンツーになるのだが、どう考えても人差し指一本では足らない。
指2本でL1とL2それぞれを操作できる人はこの限りではないのだが、かなり多くの人は人差し指でL1、L2を両方操作するのではなかろうか。
海外のゲームだと時折この両方操作をさせるゲームは見かけるが、正直なんとかならなかったかなと思う。
他にも細かい部分として、エイムアシストが手前のオブジェクトに吸い寄せられて奥の敵を狙えないみたいなこともあったが、こちらはレベルデザインが良かったので数回程度しか遭遇はしなかった。
操作周り
今回はシステムの項目はほとんどバトルと同義なため省略して、特徴的に操作周りにスポットした。
主に感じたのは元がパソコンのFlashゲームゆえのストレスだ。
バトルの項目ではL1、L2問題に触れたが、ここでは更に操作周りに触れていく。
まず最初から最後までずっとつきまとった問題が、転がりがうざすぎる問題だ。
転がりとは移動に使用している左アナログスティックを右下か左下に傾けると発動する移動状態で、サムスのモーフボールのような状態になる。(といっても、左右に移動しかできないが)
これの何が問題かと言うと、発動すると回避行動が何もできなくなり、解除するときも1秒程度の解除モーションが発生する点だ。
たった一秒と思うかもしれないが、忘れてはいけないのがフォーカスである。
時間が遅くなるのは自身も対象なので、結果として数秒間敵に蜂の巣にされながら起き上がるのを見ていなければならない。(もちろん起き上がりが遅れれば数秒ではすまない)
ではなぜそんな事が起こるのかと言うと、ひとえに発動しやすすぎるからにほかならない。左スティックが完全に真右の状態から、右下に10度傾いただけで発動してしまう。
なぜ戦闘に不要なこのアクションがこれほど出やすいのかというと、これもパソコン最適化が関係している。
パソコンではWASDによる移動操作が採用されており、転がるにはSを入力してADで転がる。そのため誤発動が無い。
ただこれはコントローラーでも下入力から左右入力で転がるにすれば解決できたことなので、おそらく開発の誤発動のストレスよりも、手数を少なくしてスタイリッシュにしたいという思いが優先されたのだろう。
この点は失策だったと思う。
また気づいた部分として、このゲームのFlash版をプレイするとわかるのだが、挙動まで含めてかなり忠実に原作を再現しているところだ。
これは原作ファンからすると嬉しいだろうし、そもそも原作が完成度が高いため頷ける部分だ。
だがジャンプの操作が結構もっさりしていて、思ったよりジャンプしない点は少し癖があるので注意。
シナリオ
アクションとは往々にしてストーリーこそあれど、深いシナリオがあるわけではないゲームだ。このゲームも例にもれずといった感じ。
だがペドロは魅力的だし、ドラマ化が海外で発表される程度にはストーリーが感じられるので、目当てにするほどではないがゲームをやるにあたってのモチベーションの一つにはなるだろう。
グラフィック
Flash版とは似ても似つかないほどキレイだが、ゴア表現が強いため苦手な人はプレイするべきではないだろう。
日本で普段目にする洋ゲーのゴアって血が出るとかくらいだけど、本当の洋ゲーは四肢欠損とかにこだわってたりして結構ぐろい。
ただこのゲームは視点が結構引きなので、間近で見ることがないぶん平気な人も多いかもしれない。
終盤ステージ
このゲームでも、終盤になぜか失速してしまう。(ネタ切れだろうけど)
終盤の数ステージはなんと敵の出てこない純粋なアクションステージとなる。
だがジャンプもっさり、転がり暴発、操作は精密にできないとどう見ても純粋アクション向きではない上に、そもそもこのゲームをやってる人間がそんな陳腐なもの求めているわけ無いって気づけと言う話である。
そういうのやってきた上で、最高にスタイリッシュなガンアクションしたくて来てるんだと。
終盤は少なくとも本作中では間違いなく一番つまらないので、あまり深く考えずにクリアだけすれば良いと思う。
総評
後々自分で見返したときに分かりやすいように、総評には5点評価で何点だったかを書いていこうと思う。
評価はクリア、もしくは断念した時点でのものになる。
ということで、こちらのゲームの評価は……
4.5点!
コントローラーの操作周りでの不備や終盤の失速もあって4.5点としたが、それまでにこのゲームならではの価値や面白さを体感するには十分だった。
スタイリッシュ・ガンアクションを体現したアクションは眼を見張るものがあり、インディーのアクションゲームにありがちな「同じことを何ステージも繰り返す」ということもなく、ステージごとに新たな試みが出てきて楽しかった。
またアクションゲームで重要なレベルデザインも非常に洗練されている。
スタイリッシュなアクションを行うためには操作をすべて知っている必要があるが、それをプレイさせながら覚えられるデザインで親切かつスマート。
ペドロも魅力的だし、アクションゲームに新たな1ページが刻まれたと言っていいだろう。
あとがき
今回もXbox GamePassでのプレイ。
2018年のE3で発表されたときに「面白そうなゲームだな~」と思っていたので、今回プレイできて良かった。
すでにドラマ化やマルチプラットフォーム展開などで評価されているのは感じていたが、その期待に違わない良作だった。
個人的にハイスコアを目指したり、2周目を走るのが好きではないためHARDやBANANAの難易度でプレイする予定はないが、リプレイ性もあると感じた。
スコアといえば、デビル・メイ・クライとかもプレイしたときスコアを一々つけられるのが嫌だった覚えがある。
そう思うとスコアに対する因縁は結構根が深いかもしれない。
理由は結構単純でスコアが低いことで得られない要素があることが嫌いだからだ。
すこし練習してクリアできればいいが、特殊なプレイスキルや遊びの範疇の練習ではカバーできない難易度のくせに報酬があったりすると、このゲーム向いてないんだなって感じがして嫌になっちゃう。
僕はゲームって映画や読書と同じ「娯楽」であるべきだと考えているので、その中で格差をつけるのは好みではないという感じ。
映画や読書って理解できるかは個人の差だけど、同じものを全員見ることはできるから平等ではある。
ゲームに求められる練習や成長って、ある範囲までは楽しいので「娯楽」として成立するのだけど、ある範囲を超えると「作業」とか「覚えゲー」とか言われて、一部の人間しか楽しめないスポーツ的な領域に入ってしまう。(ゲームの基本構造はゲームごとに作られたルールを学習して成長する過程にある)
スポーツは自分で遊びかガチか決められるから良いけど、スコアで強制的にガチを求められると嫌だなという感覚。
まあ、昔はアーケードゲームから始まっていて、そこからスコアの文化があるから完全に好みの問題だけどね。
そう考えると、ゲーセンでほとんど遊んだことがないからスコア文化に馴染みがないのかもなとも思う。
最近のゲームってスコアが無いものも多いし、意外と同じ感覚の人も多いのかなあ。(単純に家庭用ゲームはスコアで競わないようなものがどんどん出て来たってのもあるけどね)